「格差拡大」の諸悪の根源とされる「新自由主義」は、実は「究極の性善説」に立つものだったのだが・・・

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昔、格差問題を考えたときに私なりに出した結論の一つは、

「『純粋資本主義』も『純粋社会主義』もどちらもダメである」

ということだった(当たり前かもしれないが)。

 


なぜなら、「純粋資本主義(=自由主義)」は際限ない「格差」を生み、「純粋社会主義(=共産主義)」は際限ない「腐敗」を生むからだ。今、世界中で「(新)自由主義」批判のオンパレードになっているのは、政府の関与を低めること(規制緩和)による「自由」の拡大は、「社会全体の幸福」の拡大をもたらすことができなかったからだ。

 


では、本当に「自由主義」というのはダメなのだろうか。


 






market_vs_government.jpg

実は「自由主義」を「制度設計」の面から「社会主義」との対比で考えると面白いことに気づく。

 

それは、「自由主義」という概念の根本にあるのは、まさにアダム・スミスの「見えざる手」を信じるということであり、それは「分配」も人間の良心の自由に任せるという点において、実は「究極の性善説」に立っていると見ることが出来るということだ。

 


一方で、「社会主義」は「分配」に関して「一切の自由を排除する」という点において、こちらは「究極の性悪説」に立っていると見ることが出来る。

 


人間は本来的には「自由」であるべきだ。しかし、複数の人間が寄り添って暮らす社会は、無秩序では成り立たない。

 

だから「統率」が必要となってくるのだが、その「統率」というのは、「強制的な制度」ではなく、理想論を重々承知の上で言わせて頂くと、「自発的なモラル」によってなされるべきだと思うという点において、私は「自由主義」を支持する考えを持っている。

 


しかし、その「理想」とは裏腹に、残念ながら「見えざる手」が現実の世界では機能していないということは、いわゆる「市場の失敗」で広く知られていることとなっている。

 

ではなぜ人間の良心に任せてしまうと「格差」が際限なく広がって分配がうまくいかないのだろうか?

 









いくつか理由はあるのだろうが、大きな原因の一つに私は「モラルの欠如」というのが挙げられると思う。

 


BRICSブームで新興国に成金が生まれ、世界全体で見た「水平格差」は確かに縮まったが、コミュニティ内での「垂直格差」はむしろ拡大してしまった。もちろん「差」がつくのは努力の成果の部分があるから、一生懸命頑張った人と何の努力もしないでサボっている人とは結果に「差」がついて当たり前だ。

 


しかし、今般の金融危機で判明したのは、その「成果の出し方」に問題があったということだ。

 


先進国の経済は成熟して成長機会が減っていくおり、「あこぎなこと」をしないと大儲けができなくなった。「証券化」や「CDS」という、リスク管理のためのせっかくの仕組みも、モラルを欠いた運用のまずさから、仕組みそのものが悪者扱いされる事態になってしまった。

 


そんな「インモラル」な状況で生み出された成果が、「マクロ的」にはなかなか下流に回らなかった(ミクロで見ればそうでない事象もたくさんあったが)。自分のことしか考えなかったのだ。

 

 

何も金持ちだけではない。市場の失敗を補うはずの政府・官僚も「レントシーカー」となって公僕の存在でありながら、自分の利益だけを追求し始めた。

 


そして、それは「官」だけではなかった。一般ピープルの我々も、「隣に誰が住んでいるかもわからない」のが一般化したように、コミュニティが崩壊し、他人との関わりが著しくなくなった。その結果、自分のことしか考えなくなり、「人のため・社会全体のため」という意識が希薄になった。

 








大袈裟に言うと、この世界全体に蔓延している「インモラル」な空気を何とかしないと、「格差」というのは制度設計の議論で解決する問題ではないと思う。どんな制度であっても、それを運用する人々の「モラル」がなくなれば、その制度は崩壊するのではないだろうか。「社会主義」が「腐敗」で崩壊するのはその典型だ。

 


今般の危機で「自由主義」なり「資本主義」なりの「制度設計」の議論をするのも大事かもしれないが、本当に必要なのは、失われた私たちの「モラル」の回復であり、「モラル」を回復させるためには、他者との関わりを増やして他人に共感することが必要であり、そのためには崩壊したコミュニティを再生する必要があるのだろうと思う。

 


そういう意味では、今般のサブプライムに端を発する一連の危機的状況は、もちろん言われのない被害を被ってしまった人もたくさんいるかもしれないが、社会全体で見たら、これは人類にとって、訪れるべくして訪れたものなんじゃないかなあと考えることも出来るような気がする。

 


もっとも、よくよく考えてみると、そもそも人がみんな善人であるならば、「システム」を設計する必要などない。そんなことをしなくても、皆の「自発的な善意」で社会の「統率」が図られるからだ。しかし、残念ながら私も含めて頭のてっぺんから足の先まで善人である人なんてめったにいない。

 


そう考えると、やっぱり統率のための「制度」が必要であり、「制度」を設計する以上、「性善説」を100%肯定するわけではないという立場に立たざるを得ないという意味では、規制を撤廃しまくる「新自由主義」というのは、根本から無理があったと言えるのかもしれない。

 

皆が「自由」を謳歌するためには「モラル」が必要なのだが、それを忘れてしまった「ツケ」が来てしまったのかもしれない。

 



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