「組織」というのは「個人」の総和で成り立っているわけだから、「組織」としては批判の対象になっている所にも、「個人」にまで掘り下げれば新進気鋭の人はいる。(財務官僚英国研修レポート)

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ということを改めて気づかせてくれるいい題材を発見したのでご紹介させて頂きます。

 

 




【参考】「英国財務省について」(最終報告)
http://www.geocities.jp/weathercock8926/treasuryfinalreport.html

日本においても、限られた人員数で増大する行政需要を満たしていくためには、こうした組織のフラット化を進めていくほか無いのではないか。(実際、金融庁では、財務省に比べて、事実上こうした傾向が強まっている。)特に、新入省者をも一人前の戦力として尊重していくことは、優秀な人材の官庁への定着を促すためには不可欠であると考えられる。

~(中略)~

日本の官庁であれば、人事異動はほぼ上から一方的に決められ、自分で選択する余地は極めて少ない。これはある意味で、慣れてしまうと「楽」なシステムである。自分のキャリアについて思い悩む必要がないからである。しかし、自分がどの部署で、どのような仕事をするかという基本的な決定について自分自身が全く関与しないというのは、よく考えてみれば極めて奇妙である。特に日本の官庁においては、これが毎年定期的に人事異動が行われる慣行と相まって、職員の思考を受動的にしてしまっているきらいがあるように思われる。上から与えられたポストに座り、そこに降ってくる仕事をこなしながら、一年のサイクルを経れば、また人事異動で昇格する。そこには、自ら主体的に問題を発見し、取り組むという創造的な側面が乏しい。これは他方で、職員自身の満足感、動機をも減少させているのではないか。

~(中略)~

日本では、いわゆる「中途採用」が極めて限定的であることもあり、一度完全に民間に転出した(つまり、正式に退職した)職員がまた官庁に戻ってくることはほとんどありえない。こうした慣行を変え、職員が柔軟に民間との間を行き来できるよう、人材の流動性を高めることが今後必要と考えられる。少なくとも、出向で民間を体験する機会を増やすべきであろう。

~(中略)~

日本の財務省でも、前述のように、民間への出向機会を増やす等、職員の視野・経験を広げる工夫をすることにより、職員の「市場価値」を高めることが、「天下り」の慣行を縮小させていくことにも資するのではないか。

~(中略)~

日本の人事評価は、日本の慣習に根ざしたものではあるが、Treasuryのような手続的なセーフガードは欠落している以上、必然的に、個々の人事担当者による「人治」の質に全てが依存することとなる。現在の慣行の最大の欠点は、上司が一方的に部下を査定するのみであり、部下の上司に対する評価は、(噂話等を通じる以外)その上司をさらに査定する上司の耳には届かないことである。このため、上司への印象を少しでも良くするために、部下を不必要に酷使する等、正義に反するのみならず、組織全体の効率性をも阻害する事態が生じうる。また、部下や同僚から見た評価と、上司から見た評価が全く異なるということもありえ、多くの部下からすれば理不尽とも見える人事が行われる場合も多い。「下に厳しく、上に優しい」者が出世しやすい仕組みとなっているのである。

~(中略)~

英国では特に方法論、あるいは学問としての「マネジメント」が発達しているという文化的、社会的な違いはあるが、日本でも、やはりこれを管理者の職能として真剣に考えるべきであろう。マネジメントの能力は必ずしも自然に身につくものではなく、積極的に訓練し習得しなければならない。課長補佐として優れたペーパーを書ける者が、自動的に優れた管理者となれる保証は無いのである。

~(中略)~

日本の官僚(や、それを取り巻く人々)は、「無限の時間」の中で生きているため、時間に対するコスト感覚が無く、追加的労働はタダだと思っている節がある。もちろん、残業時間が増えても、それに比例して給料が増えるわけではないので、その意味ではタダなのであるが、実益に乏しい超過労働をさせることは、職員個人の生活の侵害であるのみならず、能率性や士気の減退等、有形無形のコストを国家にも発生させていることを認識すべきである。よく、10の成果を挙げるのに10の努力が必要である場合に、そのうち8までの成果は2の努力で達成できると言われる。そうした場合に、残り2の成果のために、果たして8の追加的な努力をすべきであるのか、費用対効果を考える必要がある。

~(中略)~

日本の官庁では、慣習として上下関係がはっきりしていることもあって、上司が部下に対して、あるいは年次が上の者が下の者に対して、非常に高圧的な物言いをすることもしばしばある。これはもちろん、個人の性格によって差が大きいが、それゆえにこそ、個人の性格の問題として放置するのではなく、職場環境の改善という観点から、ある程度規律を設ける必要があるのではないか。

~(中略)~

私は日本の財務省から来たということで、機会ある毎に、幹部を含めた様々なレベルの同僚から日本の財務省とTreasuryの比較について尋ねられる。興味深いのは、良きにつけ悪しきにつけ、日本の官庁の特徴を挙げるたびに、極めて頻繁に、「Treasuryも10年ほど前はそうだった」という返事が返ってくることである。日本においても、業務・組織のあり方を正面から見直す時期が来ているのではないか。財務省が、黙っていても優秀な人材を確保できる時代ではない。財務省が他の省庁や、民間を含めた他の職場と比べて魅力的であると思わせるような環境を創り上げていくことに、全省的に注力する必要があると考える。

 

ネタ元は財務省のHPかと思ったら、これこの方の個人のHPなんですね。官僚の方でもこういう形で(しかも実名で)情報発信できるようか環境になっているとは知りませんでした。これが一番のサプライズなのかもしれません。

 

私も含めて、人間というのはつい「二元論的思考」に陥りがちになってしまう。今は「政治家vs官僚」の図式で「官僚=悪」のレッテルが貼られている。

 

たしかに「組織」として見た場合、今の日本の官僚制度は、日本という国家の成熟度に合わせてその役割を縮小するべく「変わっていく」必要があると個人的には考えている。それはこの題材を目にしたからといって変わるわけではありません。

 

当たり前ですけど、それは、人間として官僚みんなが「悪」と言っているわけではないわけなのですが、これは頭ではわかっているけど、なかなか感情面では理解しにくい。

 

しかし、どんなに「組織」全体としては問題のある場合でも、「個人」にまで焦点を当てれば、この人のように「変えよう」という気概を持った人は実はたくさんいると思う。

 

こういう人たちをいかに意思決定の中枢に吸い上げていけるかが、直接的に官僚を選ぶことの出来ない私たちが「政治家」に期待すべきところなのではないかと思う。

 

そういう意味で、いわゆる「叩かれている側」から、このような地に足のついた情報発信がなされるというのは、触れやすい世論を中和させる作用が期待できるという意味で、非常に意味があることなのではないかと思います。

 

このブログの世の中に対する影響力はほとんどありませんが、それでも一人でも多くの方に目にしてもらえればと思い、ご紹介させて頂きました。



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